大阪地図.net
 

MENU

H O M E
都市地図
大阪市区地図
指示
地図サイト
電子メール
お気に入りに追加
 


大阪地図
 
 
 

大正区(たいしょうく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。

区民のおよそ4分の1が沖縄県出身者という地区であり、平尾辺りには特に多いことで有名。沖縄料理の店が散在し、また家の門にシーサーがあったり、ゴーヤーが植えてあったりする。

地名の由来について

木津川に架かる大渉橋(おおわたりばし)から命名された。

地理

大正区は、かつての淀川水系と大和川水系により運ばれた土砂により出来た大阪湾の三角州の1つであり、運河により更に3つに分かれている。 北を頂点として、南の辺が約2.8km、南北の長さが約4kmの三角形の形をしている。 東と南に木津川、西に尻無川が流れ、西端は大阪湾に接している。

北端に、西日本旅客鉄道(JR西日本)と大阪市営地下鉄の大正駅がある。 南北の目抜き通りに大正通り、東西に国道43号が通る。

歴史

 

江戸時代初期には三角州が点在する河口であり、三軒家(かつては姫島と呼ばれ、家が三軒しかなかったところからそう名付けられた町名)と難波島(難波の沖にある島であるところから:難波町==>現在の三軒屋の一部)だけだったものが、江戸時代後期になると新田開発によりほぼ現在の形になる。新田開墾は町民(中村勘助、北村六右衛門、岡島嘉平次など)が行い、現在の町名はその開墾した人に由来する。

明治15年(1882年)、三軒家にあった大阪紡績会社(現東洋紡績)が英国より日本で初めての蒸気式の紡績機を輸入し、大阪を日本一の紡績工業都市へと押し上げ「東洋のマンチェスター」とも呼ばれるきっかけを作った。また堀江など長堀沿いにあった材木市場が手狭になり、千島や小林に大きな貯木場が作られた。鶴町にはゼネラルモーターズの自動車工場(1927年から1941年まで)が、船町には中山製鋼所の製鉄所や日立造船などの造船所も作られ、近郊農村は阪神工業地帯の重工業集積地に姿を変えた。沖縄からの移住者はこうした工場などでの労働のために大正区に集まった。川沿いの工場には大きな船が着岸するため、大正区を取り囲む川には(区の北端の大正橋などのほかには)橋は掛けられず、渡船が対岸とを結んでいた。市内からは大正橋を通り市電が鶴町までを結んでいた。

第一次世界大戦時には、小林付近にドイツ軍の、第二次世界大戦時には新千歳にアメリカ軍のと言われる捕虜収容所があった。第二次世界大戦時、大正区全域が大阪大空襲により壊滅的な被害を出したが、現在の大正中学校附近にあった高射砲陣地にあった砲は、B29を1機落とすなどの戦果を挙げている。 工業化による地下水くみあげで地盤沈下が起こり、洪水や高潮に弱くなり浸水被害が深刻なため、戦後になって貯木場や市街地を削って川を広げ大正内港を作る一方、出た土砂で区内に盛り土を行った。 1980年代以降、産業構造の変化で重工業が振るわず中小の工場も廃業するものが出る一方、その跡地を大型店舗や、川沿いの立地を生かしたレストランやマンションに変えているものもある。区内の交通は、市電の廃止以来バス中心で中心部には時間がややかかるが、大正駅からの地下鉄延伸の計画もある。

  • 昭和7年(1932年)に港区から分離し、大正区が誕生した。
  • 昭和30年(1955年) 対洪水対策としての防潮堤竣工。
     
HOME   大阪市区地図

©2007 大阪地図.net. All rights reserved