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浪速区(なにわく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。

地理

一帯は上町台地西側の平地で、北辺では西道頓堀川が、西辺では木津川が区境となっている。また区東部には江戸時代に難波新川または難波入堀川と呼ばれる運河が開削されたが、1958年に埋め立てられた。(埋め立て後の旧河道には阪神高速道路1号環状線が建設された。)日本一面積の小さな行政区でもある。

歴史

  • 1925年 - 南区(現在の中央区南部)から分区によって誕生。区の全域は旧西成郡に属した。

難波村は古くから農村であり、特に大坂の街が大きくなった江戸時代以降は、市内に野菜を供給する一大近郊農村として繁栄した。特にねぎが有名で、「なんば」はねぎの代名詞となった。これらの野菜は天満の青物市場に持ってゆく決まりであったが、農民達は市を建てたり自前で売ろうとして、天満商人と対立した。

明治時代以後は1885年に阪堺鉄道(後の南海鉄道)の難波駅が、1889年には大阪鉄道(後の関西鉄道、現在の西日本旅客鉄道)の湊町駅(現在のJR難波駅)が開通し、奈良や和歌山の木材や農産物などが集まった。

 

木津には大きな市場(現在の木津地方卸売市場)ができ、日本橋以南の堺筋は松坂屋ほか商店、古物商や古本屋が軒を並べる繁華街となった。また1903年の第5回内国勧業博覧会以後は新世界がレジャーセンターになるなど遊興地としても栄えた。一方、市街地の拡大に伴い、大正時代には堺筋の裏側にスラムが広がっていたため、当時の大阪市は画期的な鉄筋アパートを建設するなどこの地域の社会改善、住宅改良に力を入れた。

戦後は日本橋が焼け野原から電気街として繁栄したが、産業構造の変化などに伴い中小企業や工場主体の地域の活力は落ち始めた。この地域にあった大阪球場やクボタの工場、湊町駅の貨物駅などが相次いで再開発の対象となった。バブル崩壊後、これらの再開発は足踏みしたが、2000年代には超高層マンション群や大規模店舗群に変わりつつある。また中小工場の廃業が相次いだほか、日本橋に対して郊外の大規模電気店・梅田へのヨドバシカメラ出店などが地域全体を揺さぶったが、日本橋もソフト販売・開発の町に変わりつつあるなど変化への対応も見られる。新世界は繁華街としてはすっかり老朽化したが、戦後の雰囲気を色濃く残すため観光に来る人も多い。

また比較的地価が安いため、アジア・ヨーロッパ・アメリカ・オセアニアなどからの出稼ぎ労働者やホステス、外国語教師など外国人の居住が多いほか、若い単身者向けのワンルームマンションも多い。区の人口は1940年に約15万人いたが、その後の空襲による市街地の破壊やドーナツ化現象、生活環境の著しい悪化などに伴い長く減少傾向にあった。しかし近年再開発によりマンション建設が進み、都心回帰によって再び増加傾向にある。特に単身男性の転入が加速しており、浪速区の性比(女性を100とした時の男性の比率)は大阪市95.0に対して104.8とかなり男性の割合が高い。なおこの数値は南隣の西成区に次いで大阪市内第2位である。

こうした浪速区の都心再開発プロジェクトにはOCAT、湊町リバープレイスを中心として高層マンション群と産経新聞社などを誘致したルネッサなんばプロジェクト、南海なんば駅前、大阪球場跡を再開発した商業施設と高層マンションの複合体難波パークス等がある。

     
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