近代以降
明治維新後は、首都機能が京都から東京へと移った事および、蔵屋敷が不要になったことなどもあって一時的に衰えを見せた。しかし、繊維関係を始めとする軽工業部門を中心に商工業が発展し「東洋一の商工地」と称され、現在大企業として存続する企業が勃興しメセナが活発に行われた「阪神間モダニズム」と呼ばれた時代、明治末期から昭和初期にかけては日本一の活況を有し、文化・芸術・教育・産業などの分野で日本の中心となる。
しかし昭和10年代以降、日中~太平洋戦争中における戦時統制、また戦後の経済復興のために政府は文化・芸術・教育・産業その他あらゆる分野の中枢を東京に集める政策を採ったため、現在では相対的地位が低下している。戦後、高度経済成長期に入ると、阪神工業地帯内でも軽工業の比率が高かった大阪府下の経済は閉塞的な様相を見せるようになった。
当時の花形産業だった重工業も、大阪砲兵工廠が無くなったことにより大打撃を受け(その補完機能としての中小企業は多かったし、それをルーツとする企業もまだ現在も残ってはいるが)、大阪府の遠浅の海岸線では誘致および大型化が難しかったこと(その証拠に、阪神間など大型船の入りやすい箇所に多数、重工業は存在している)、また、公害対策で、その他の土地に移転させたこと、造船業に至っては、戦後から長らく続く造船不況などが原因と言われている。こうした中、1970年に大阪市の北隣、吹田市の千里丘陵で日本万国博覧会が開催された。これは東京オリンピックと併せて戦後日本の復興を象徴する出来事とされている。尚この時の会場は、現在万博記念公園として整備されている。
1995年の阪神・淡路大震災では、震源から距離があった為直接的な被害は少なかったがそれでも震度4を記録した他、ライフラインの途絶や交通機関の麻痺等少なからず影響を受けた。
テレビなどでは昔ながらの下町や強烈なおばちゃんのイメージが強いが、都心では上海やシンガポールなどに次ぐ世界七位(日本一位)のスカイライン(2006年12月時点 スカイラインは超高層ビル群によって形成される都市の迫力、魅力ある景観)を持ち、中之島周辺のビル街は世界有数の夜景を誇る。
かつては東京都に次ぐ人口を誇る日本第2の都市だったが、2006年5月1日、神奈川県が大阪府の人口を上回り現在の人口は第3位となった。昼間人口は現在でも東京都に次いで2番目である。その理由の一つとして、兵庫県や奈良県、和歌山県など、大阪府の通勤・通学圏内の範囲で、地価などが安い郊外の住宅を購入し、そこへ移り住んだという事が考えられている。また全国第46位という小さな面積である為人口密度は全国第2位と高い。
2007年には、大阪市の長居スタジアムで『2007年世界陸上選手権』が開催される。スポーツの国際大会として、世界の多くの人々が大阪府へ訪れる事が予想される。府では、この大会を通じて改めて大阪の街を世界にアピールしようとしている。
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