高石市(たかいしし)は、大阪湾に面し、大阪府の中南部(泉北地域)に位置する市である。
面積こそ、大阪府内の市としては、藤井寺市(8.89km²)に次いで2番目に狭いのだが、臨海部は、石油コンビナート、内陸部は、ベッドタウンとして発展している。また、市では、子育て支援や防災など住みやすい街づくりに積極的に力を入れている。
地勢
地理
高石市は、大阪府の泉州地域の北部(泉北)に位置し、北と東は堺市(西区)に、南は和泉市と泉大津市にそれぞれ隣接し、西は大阪湾に面している。
市域のほぼ全域が平坦で、東西6.1km、南北4.1km²で、市域が11.35km²という面積の小さな都市である。交通網は、大阪府道204号堺阪南線、国道26号線、大阪府道30号大阪和泉泉南線、阪神高速道路4号湾岸線などの主要道路とともに、南海本線とJR阪和線という2つの鉄道路線が南北に走っている。
また、高石・羽衣・富木の3駅から大阪市の中心部まで所要時間約20分、そして、関西国際空港にも20数kmと近く、温暖な気候と相まって、便利で住み良い住宅地として発展している。 |
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地名の由来
古くは「高脚」とも書かれた「高師浜」の地である。これらが変化して現在の「高石」という地名になったと言われている。
行政
高石市長
- 市長:阪口伸六(さかぐち しんろく) 任期:2011年4月26日まで
市議を4期連続トップ当選という人気と堺市との合併反対という追い風を生かして2003年の市長選で初当選。1期目の任期中、議会との対立から突然辞職し、再度立候補。突然のことに反市長側が対立候補を出せなかったために無投票当選(これで2期目)。2007年の統一地方選挙の際に行なわれた市長選で新人2人を圧倒的な大差で破り3選を果たす。同時に行われた市議選にも「チルドレン」と新聞に揶揄された子飼いの新人候補を擁立し、3人中2人が当選。既存の“与党”である3人を加え、5人の市長派議員を得た。
歴史
かつては、令制国の一つである和泉国大鳥郡の地域に属していた。
1889年(明治22年) - 高石村となる(高石南村、高石北村、今在家村と新村より)。
1904年(明治37年)~1905年(明治38年) - 日露戦争でのロシア兵捕虜の一部、2万人以上を収容する巨大な俘虜収容所が海岸近くにつくられた。
1915年(大正4年)1月 - 町制施行で泉北郡高石町となる。
1953年(昭和28年) - 東隣の旧取石村(現在の取石地区)を編入合併
1966年(昭和41年)11月1日 - 市制施行。高石市となる。同日に大阪府では三島市と美陵市(同日に摂津市、藤井寺市とそれぞれ改称)と埼玉県入間市が発足した。全国では福島県いわき市、埼玉県戸田市以来1月ぶりの新市。
1995年(平成7年) - 日本国内において初めてセアカゴケグモが発生。在阪・在京のマスコミに取り上げられ、全国で話題となる。
2002年(平成14年)4月1日 - 堺市・高石市合併問題研究会を設置する。
2003年(平成15年)
- 4月27日 -
市議・市長選と同時に、隣接する堺市との合併の是非を問う住民投票が行なわれる。市長選では、合併反対を唱える阪口伸六が合併推進の現職だった寺田為三を破って当選。また住民投票でも合併反対票が全投票数の74%を占める。
- 7月11日 -
先の市長選と住民投票の結果を受けて、堺市・高石市合併問題研究協議会が解散する。
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阪口伸六氏は、財政難を克服するため、無駄な経費を徹底的に見直した。その一環として、2007年(平成19年)現在に至るまでに、市の職員を100人削減したという。一時は、財政再建団体に陥る恐れがあるほど危機的な状況にあったのだが、阪口氏の推し進めた改革によって、財政危機を乗り越え、現在に至っている。
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