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戦国時代(東洋のベニス)

布教のため来日していたイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書『耶蘇会士日本通信』のなかで、「堺の町は甚だ広大にして大なる商人多数あり。この町はベニス市の如く執政官によりて治めらる」と書いた。この文章によって、堺の様子は『東洋のベニス』として、当時の世界地図に掲載されるほどヨーロッパ世界に認識されることとなる。ヴィレラの後継宣教師であるルイス・フロイスもまた、その著書『日本史』のなかで堺を「東洋のベニス」と記している。

安土桃山時代(自治都市)

安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成する。会合衆(えごうしゅう)と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い、摂津国住吉郡の平野と共に中世の自治都市となるが、織田信長、豊臣秀吉らの前に屈服。都市機能が解体され、彼らの支配下(直轄地)に置かれる。その後、秀吉が大坂城を築き、城下町が開発されるに伴い堺商人の多くが大坂へ強制移住させられた。このため、堺の都市機能は著しく低下した。同様に全国各地の城下町にも堺商人が移り住むようになる。また、この頃から鉄砲生産も盛んに行われるようになった。

 

江戸時代(近世都市の源)

江戸時代には堺奉行が置かれ、糸割符など保護を受けるが、鎖国の成立とともに経済の中心は大坂へ移り、管轄も大坂町奉行が兼任する。1704年には大和川の付け替え工事が行われ、陸続きであった堺と住吉が分断された。しかも、この開削により河口付近に多量の土砂がたまったため、堺港に大きな船が停泊できなくなった。これにより、港湾機能も縮小せざるを得なくなった。

しかし、中世の自由都市堺と、江戸初期の堺の財力は莫大なものがあり、それが後世の日本に与えた影響もまた然りである。中世の日本において一貫して大都市といえるのは京都だけであり、当時陸運の便利がよい京都に商人が集中していた。一方で堺は積極的に海運のため、全国の主に海岸の中小都市に莫大な投資を行った。その当時既に繁栄していた博多、鹿児島、大分などはともかく、それ以外の全国の多くの都市について、その発展の基礎部分に中世の堺商人の投資が大きな影響を与えているともいえ、それは大阪、名古屋、東京なども例外ではない。
     
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