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藤井寺市(ふじいでらし)は、大阪府の中東部に位置する市である。
全国の市の中で6番目に面積が小さい。大阪のベッドタウン。大小の古墳が密集する古市古墳群や、西国三十三箇所第5番札所の葛井寺の門前町として知られる。かつてはプロ野球大阪近鉄バファローズの本拠地・藤井寺球場があったことでも知られている。
地理
大和川と石川の合流点にあり、市域はほぼ平坦。近鉄南大阪線が東西に、国道170号が南北に市域を貫いている。市の西側の藤井寺駅を中心とした地域と、東側の土師ノ里駅、道明寺駅を中心とした地域に市街地が発達している。
古くから、堺と奈良を結ぶ長尾街道(古代の大津道)と竹内街道、高野山へ通じる東高野街道が通じていた。
隣接している自治体
八尾市 -
柏原市 -
羽曳野市 -
松原市
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- 羽曳野市、柏原市とは次のとおり一部事務組合を組織しており、比較的結びつきが強い。
- 消防-柏羽藤消防組合(羽曳野市、柏原市と)
- ごみ・し尿処理-柏羽藤環境事業組合(羽曳野市、柏原市と)
- 学校給食-藤井寺市柏原市学校給食組合(柏原市と)
歴史
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市名は、市内にある「葛井寺」に由来する。市章は、前方後円墳と縄文時代の耳飾りをモチーフにしている。
- 市内には国府(こう)の地名が残り、ここに古代の河内国府が置かれたとされている。
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大正末期から昭和初期にかけて、大阪鉄道が藤井寺駅付近に住宅や教材園、野球場などを建設し、田園都市として発展した。
年表
- 4~6世紀ごろ、古市古墳群に古墳が造営される。
- 1704年、大和川が付け替えられる。
- 1889年(明治22年)、町村制の施行に伴い、長野村(後に藤井寺村に改称)、小山村、道明寺村、沢田村ができる。
- 1890年(明治23年)、道明寺村、沢田村が合併して道明寺村となる。
- 1898年(明治31年)3月、河陽鉄道が柏原-古市間を開業し、道明寺駅ができる。
- 1915年(大正4年)、藤井寺村、小山村が合併して藤井寺村となる。
- 1922年(大正11年)4月、大阪鉄道が道明寺-布忍間を開業し、藤井寺駅ができる。
- 1928年(昭和3年)、藤井寺村が町制を施行し、藤井寺町となる。
- 1928年(昭和3年)5月25日、藤井寺球場が完成する。
- 1929年(昭和4年)、大阪鉄道が藤井寺経営地に、花卉・果樹園、温室などを備えた自然学習の場として教材園を開設。
- 1933年(昭和8年)、教材園が閉鎖される。
- 1951年(昭和26年)、道明寺村が町制を施行し、道明寺町となる。
- 1959年(昭和34年)、藤井寺町と道明寺町が合併して藤井寺道明寺町となる。
- 1960年(昭和35年)、町名を美陵町(みささぎちょう)に改称する。
- 1966年11月1日(昭和41年)、市制を施行して美陵市から藤井寺市に即日改称する。
- 1973年(昭和48年)、藤井寺市民総合会館が完成(現在の愛称はパープルホール)。
- 1978年(昭和53年)3月、三ツ塚古墳の周濠から古墳時代のものと推定される大小2つの修羅が出土する。
- 2005年(平成17年)1月31日、藤井寺球場が閉鎖される。
- 2006年(平成18年)、市制40周年式典が執り行われる。
修羅
1978年3月に古市古墳群の三ツ塚古墳(大阪府藤井寺市)の周濠から、大小2つの修羅が出土。4月5日から6日にかけてマスコミで大きく報じられ、4月15日の現地説明会には12,000人余りの人々が見学に訪れた。古市古墳群の最盛期だった5世紀ごろのものと推定されるこれらの修羅は、出土とともに急速な乾燥、劣化の恐れがあったため、同年5月から(財)元興寺文化財研究所でポリエチレングリコール法で保存処理が行われた。
この発掘は大きな反響を呼び、同年9月3日には、朝日新聞社や考古学などの専門家によって、市内の大和川河川敷で、復元した修羅に巨石を乗せて牽引する実証実験が行われた。
保存処理が終わった修羅について、発掘した大阪府は、当時河南町に整備を進めていた風土記の丘に建設する博物館で展示する方針をとったが、出土地である藤井寺市と市民は反発。市長が藤井寺市に戻すよう府に要望したが認められなかった。現在、大きい修羅は大阪府立近つ飛鳥博物館で展示され、小さい修羅が府から貸与され、市立図書館で展示されている。
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